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デザイナーのひねもす。

子どもはかつて、こうなる未来を予期していたのだろうか。

こんばんは、さじです。

子どもの頃、未来を想像して絵を描く授業がありました。当時の子どもが思い描いた未来は、テクノロジーの発達でロボットが人間の代わりに働き、車はスイッチ一つで目的地に着くなどの明るい未来だけでなく、石油が枯渇する、空気が汚れるなどのマイナスイメージもありました。

 

実際に、自身が子供の頃に描いた絵は、空中都市は透明のチューブで繋がれ、人々は外気に触れない建物の中で生活していました。草木は描かれず、都市化とは自然とは共存していないものだと考えていたようです。当時見ていたアニメや漫画の影響もあったのだと思います。

 

自分だけが特異なわけでなく、友だちの絵も覚えています。水中都市や地底に広がる街がありました。どれも明確には思い出せないですが、「将来、人間が暮らすには地上は厳しそうだ」という共通認識があったようです。中には、地球の成れの果てを描いた子どももいました。子どもながらに当時混迷を極めていた海外の戦争や環境破壊による病気の蔓延を明るい未来に期待する以上に恐れていたのでしょう。

 

40年経ち、自分が予想したロボットが代わりに働いて、人間は楽しく暮らすだけの世界にはなりませんでしたが、経済の概念が足りてないのは仕方ありません。当時は万博もあり、テクノロジーは発達するものといった展望を持っていたのは間違っていませんね。実際、一部の職業はロボットに職を奪われ、テクノロジーによって様変わりした職業があるのも事実です。製造業は特に顕著で、IoTは正に昔夢見た技術革新で、現実となりました。

 

まだ子どもの絵になかったものがあります。流通です。自分も友だちもお店を描いていた記憶がありません。1970年代は高度経済成長が落ち着き、小さい商店街の他にスーパーマーケットが増加した頃でした。よくオイルショックの映像でスーパーにトイレットペーパーを買い求め殺到する人々が映りますがあの時代です。百貨店やスーパーが増え、商店がたたまれていくのを目にしていました。子どもながらに、街なかの個人商店はなくなっていくと感じていたのでしょうね。

 

その後大きなショッピングモールや大型店舗へと商業の仕方も変わり、さらにネット通販へと移り変わってきました。それでも人々はまだこれまでの実店舗も必要としたため、切り替えの時期を過ごしていたことになります。ブランドの実店舗がネットに押され撤退して行く中、残された個人商店や食堂は今回のコロナ打撃で瀕死状態に追い込まれました。もはや、商売としてよりも人情や経営者の商人魂によって経営を続けているお店も見受けられます。もしも個人商店や食堂など小さなお店が軒並み維持を諦めてしまったら、世の中の風景は自分たちがかつて描いた未来のような、人の行き交わない都市型へと変貌してしまうかもしれません。

 

当時の記憶ではなく想像ですが、自分たちが生活する未来には店舗での買い物は存在しないと考えていたのではないかと思いました。品物や食べ物は空間移動(テレポート)が可能になり、人の移動は最低限で済ませられる。人々はテレビを通して会話し、エンターテイメントは部屋で仮想空間で楽しむことが可能になると。その理由は、汚染された空気が体にダメージをもたらすためと。。。何かこの一年の身に覚えのある話ですね。背筋がヒヤリとしました。

 

楽観的に考えれば、もっと楽しいことを考えていたのかもしれません。未来は苦労が無く便利で、笑顔が溢れる世界。例えば石油の代わりになるエネルギーを見つけるに違いない。栄養素の取れる万能の薬ができるに違いない。物凄いスピードで移動する乗り物が発達するに違いない。ああ、ダメですね。どれもこれも、現在までのテクノロジーの進化を知っている大人の自分が考えそうなことです。子どもの予想はもっと純粋で豊かだったと信じたいですね。

 

自分たちは一体、未来に何を想像していたのでしょうか。当時の作文がそんなテーマで残っていたらよかったのですが、以前実家の物置から出てきた自分の作文は日記や読書感想文だけでした。文章に起こすには拙い言語能力だった低学年でしょうが、そういった頭の中を記すものを書いていたら、と残念ですね。今日自分が想像した子どもの気持ちが的を得たことであったなら、濁りのない目は未来を屈折しないで見ていたことになります。欠片を繋ぎ合わせたらこの先の未来の姿もみつかりそうです。

 

覚えている未来はありますか。

 

さじ