ゆるっと広告業界

デザイナーのひねもす。

ただいま。

こんばんは、さじです。

自分は1970年代の幼稚園育ちです。バスの送迎で毎日近所の幼なじみ数人と通園していました。グリーンのスモックに黄色いバッグ。記憶が正しければ夏は麦わら、冬はフェルト帽の制服です。

ある冬の日、何かの事情でバスの時間に親が送り出せないことがありました。園に伝えたらしく車で普段よりずいぶん早い時間に登園し、誰もいない幼稚園で他の子の登園を待っていたのです。子ども心に「今日は幼稚園は休みなんじゃないか?」と何時間にも感じて耐えられなくなり、ひとつの決断を下しました。「家に帰ろう」。

毎日通っているとはいえ、バスの窓から見てる通園路です。無論最短の近道など知りません。バスの走る道を逆走していくことになります。途中の記憶は全く無いので、夢中で走ったのだと思います。

家に着くと、母は驚きました。何が起こったのか分からなかったんでしょうね。どうやって帰ったのか、なぜ帰ってきたのか、どの道を通ってきたのか、と慌てていたのでしょうが、なぜか笑っていました。母の顔を見て自分も誇らしくなったのか、受け答えは自慢気でした。

寒かったでしょとだるまストーブの前に連れていかれ、母は何本か電話をかけます。「帰ってきちゃいまして」「今日は行けません」みたいなことを耳にして、ようやく「マズイことしたかな」と考えていたことが記憶にあります。そのあとは母の用事に連れられて行ったのか、その日園には行きませんでした。まったく迷惑な子です。

母としては、生まれてから手のかからない子だったので、そんな行動力があることにびっくりしたようです。自分もあの時なぜ帰ろうと考えたのかわかりません。何か冒険心のような芽が急に息吹いたのですね。どんな気分で道路を走ったのでしょう?褒められたものではありませんが、視界100センチの大冒険を天が見守ってくれたので今があります。遠くに見えてきた自分の家、ストーブに乗ったヤカンの湯気に安堵の記憶。

実はこの事件の30年後、息子も園から帰ってきてしまいます。全速力で走って、5分くらいの距離です。気づいたお友だちのお母さんが追いかけたのですが、子どもながらに健脚を持つ息子は速すぎて追いつけないまま家に着きました。途中ひとつだけある丁字路の信号が「たまたま青で良かった」とゼエハアと膝をつくお母さんに平謝りしました。

以降、園の門扉は登園時間をすぎると閉められることになり申し訳なく感じましたが、物騒な時代になり何かある前でよかったのかもしれないと少し罪悪感が薄れています。事故に遭わず、連れ去られることもなく、この時も天が見守ってくれました。いえ、お友だちのお母さんがいましたね。

思い返すと、自分の帰宅事件の際にも誰かしらの目に止まっていた可能性があります。商店の主人が見守って、路線バスの運転手が見守って、交差点のご婦人が見守って。自分は気づかなかっただけで、誰かが追いかけ、守られていたのかもしれません。

運の良さ悪さに囚われる時も多々ありすぐ忘れてしまいます。生きていることが幸運なこと。その幸運は天ではなく、どこかの誰かに知らず知らず、守られてきたのかもしれないですね。

さじ

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」