ゆるっと広告業界

デザイナーのじたばた。

デザイナーのきまぐれ。

こんばんは、さじです。

9月ですね。夏の終わりに。

f:id:conasaji:20210901211531j:image

デザイナーの中でも
ほんのひと握りの運の良さで
大きな企業のデザインチームに入る人もいれば
世渡り下手のせいで弱小会社に居たりと
本来の実力がはっきりしません。

たまたまどこかの良い巡り合わせや不幸、
タイミングもありますね。
「運も実力のうち」とは昔から言われてるし
世の中の不平等は平等になりません。

f:id:conasaji:20210901211602j:image

自分が就職活動をしていたおよそ30年前、
叔母が「うちの会社くる?」と言いました。
大手出版社でいわゆるコネです。
叔母も長く勤めていて口が利けたようでした。

他に行ってみたいと思う中規模の出版社があり
そこは二次選考だったかに進みましたが
あいにく落ちてしまいました。
どうしようかなあと夏休みを迎えます。

f:id:conasaji:20210901211619j:image

その少し前、学校(変わった専門学校でした)の
授業の終わりに、講師から声をかけられました。
友人数人と談笑中でしたが
就職活動の話などを聞かれました。

自分は出版社の一次選考が通ったばかり。
友人2人はまだ何もしていない、
もう一人は進学(転部)する。
それぞれ将来を考えたり考えなかったり。

もし時間があったらさ、アルバイトしない?
講師は自分のデザイン会社(広告関係)を持ち
卒業生から毎年一人引っ張っるようです。
名刺を配り、電話してと言い残して去りました。

出版社の二次が落ち、結局コネ入社なのかなあ。
他に候補もありましたが、場所が神奈川で
知らない土地に行くのは踏ん切りがつかず
受けもせずに近所に写真を撮りに行ってました。

そんなある日、電話がかかってきます。
講師からでした。
「一人バイトに来てくれたんだけどね」
どうやら狙いは自分だったらしいと知りました。

「週に2、3日でいいから」というし
まんざらでもない気分と、実際暇でしたので
行ってみることにしたのが
翌年入社した会社との出会いです。

正直、なんでこんな会社に入ったのか?と
深夜残業や徹夜明けに考えることはありました。
同級生がアフター5やらショッピングに
うつつを抜かしていることに妬いたりです。

叔母の出版社に入っていたら
今とは全く違う仕事をしていたように思います。
デザインに関わる仕事ではなかったし
どちらかといえば、営業職に近いこと。

今さらながら「もしあの時」を振り返ると
ずっと高収入でたくさん遊ぶ時間があり
会社の破壊的なネームバリューを背に
今の自分とは全く違う人生を送っていました。

なぜ選ばなかったのか。
仕事として1日の3分の1を捨てるのか、
仕事も愛せるような3分の1を過ごすのか
その二者択一だったことは覚えています。

f:id:conasaji:20210901211646j:image

仕事の考え方は人それぞれで
自分はたまたま、メンタルが強いおかげで
仕事だらけの社畜人生でも大丈夫でしたが
そんな人間ばかりではありません。

結局最初の会社も5年ほどで辞めたわけですが
そのあといくつか経験した中では
最も収穫のあった時間でした。
若さもありますがね。

もう一つ「もしあの時」を振り返ると
自分が編集に拘ったのは正解でした。
アルバイトの面談で、
「自分は編集を仕事にしたいから」と
強調した生意気な学生です。

ところが、タイミングよく
会社に「雑誌編集」の定期依頼が入ります。
先輩方のフォローで自分が取り仕切る前提で
入社しないか聞かれました。

あの時、もし自分が
そんな生意気を言わなかったら
その仕事は出来なかったと思います。
取材、執筆、制作など毎日が夢中でした。

初年度は多々迷惑をかけてしまいましたが
次の年からはDTPの導入のため、
技術を伝える側になりました。
「新人教育」はこの頃得られたものです。

自分が今、デザイナーとして
仕事を続けていることは
長くやってきた慣れではなくて
自分の選択のあみだくじの結果です。

きまぐれだからこそのいま、
長期案件の納品を完了して一息つき
ブログを書くこの最高のひとときを
強い満足感と心地よい疲れと。

f:id:conasaji:20210901211937j:image

9月1日をもって3年目に入り、
次回よりまた副題を変更します。
この一年きまぐれな記事をお読みいただき
心から感謝いたします。

さじ