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デザイナーのひねもす。

幻想だとしても願わずにはいられない。

こんばんは、さじです。

ミュージシャンの故忌野清志郎氏を知ったのは高校1年生の時です。倫理の教師は初回の授業で「倫理とはどんな授業なのか皆さんはまだわかってないと思う」と生徒に問いかけ、教室に運びこんだラジカセで、ある曲を流しました。初めて間近で会った反原発を唱える人物が彼。20代後半でした。

授業は興味深いものでしたが、当時から主張の偏りは感じてました。出身が何か関連していたのか、再処理施設のことも話していたと覚えてます。

普段生活している電気がどこから給電されていたのかは、東日本大震災で知りました。それまでは考えたこともなかったです。

震災後、都心の官公庁の集まる中心部を除き、自分が住む東京市部も計画停電となりました。1日のうち数時間電気がストップしただけですが、それでもとても寒くて水筒の温かいお茶をありがたく思い、電気の無い生活の不便さを思い知りました。被災地はもっと寒かっただろうに。

原発の被災ニュースにかじりつき、対応にあたる職員の身を案じていました。ヘリコプターからの落水に落胆し、乗組員の体が無事なのか、報道に耳を傾けて毎日を不安に過ごす。

原子力発電所の稼働を真っ向から反対していた教師が話していたことは合ってたんだな、と。原発は事故があった場合でもすぐに止められないこと、使用後に酷く扱いにくい廃棄物が出ること、発電所の寿命後の処理が難しいこと。後から知った知識も足されてるのかもしれないけど。

授業では、危険なのになぜ推進するのかといえば、日本のエネルギー資源の少なさだと言ってました。石油や天然ガスが少なく、水力発電風力発電よりコストがかからない。それを聞いた時に、やむを得ないと感じてしまった自分がいました。

人間の手に余るものはいつか痛い思いをすることはわかっていても、当事者でなければ喉元を過ぎると意識も薄れてしまいます。事故から11年経っても帰宅困難区域に人が住めるようになるにはまだ時間がかかります。生活の場を移した家族も多い。そのことには心も痛むけどそれも偽善かもしれません。原発止めたので電気代が10倍になりますとなったら、仕方ないね、と思う自信はなく、何を書いても白々しさが溢れます。

電気の恩恵を受けながら暮らし、電気を使う製品が益々増え、今や東京電力が無ければ生活の糧となるフリーランスで仕事することも不可能になりました。地震が起きませんように、と折に触れて祈るだけ。

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天災どころか人災によって危険にさらされている今、安心、安全は幻想ですね。倫理観の欠如した人災がもたらす不幸、その終わりを願う気持ちが海の向こうにも早く届きますように。

さじ


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