ゆるっと広告業界

デザイナーのひねもす。

「やな感じ」の浄化。

ブログ|書かなくても書いてもモヤモヤすること

こんばんは、さじです。

ここしばらくTwitterで色々と騒動が起きていたらしいので、自分のはどうだろう?とふと思って色々見ていたら、見覚えのあるアイコンが。なんと、部長(元勤務先上司)のアカウントとニアミスしてしまいました。久々に開いたら〜のツイートがあり、同じこと思ったんだなーと可笑しくなったものの、なんとなーく見るのが悪い気がしてすぐさま去った。近づいてはいけないw

それにしても、Twitterの浄化作戦?はおおごとですね。少しずつ壊しては作り直し、おっとやりすぎたから戻そう、みたいな。これってやっぱり今いるユーザーの為にサービスを持続したままってのが大変で、右往左往してるんでしょうか。その影響で様々な不具合が起こってはユーザーに怒られて、なんだか気の毒にも思えて来ました。ゼロから作った方が早いもんね。

SNSの醍醐味は現実世界では絶対に出会わなかっただろう他人とすれ違うことだと思う。街中で通り過ぎた人は顔形しかわからないのが、SNSでは心とすれ違う。ちょっと近いのは昔駅にあった伝言板や宿のノート。誰だかわからないけど筆跡にほんわかしたりクスッとしたりできる。だけならいいんだけど、Twitterには「やな感じ」もいるから足が遠のいてしまった(笑)心地良さと刺激、真逆の共存は難しい。

ブログは自分がちょっと追い込まれてたり不調だと途端に書けなくなる。書けないこともないけど、書くもの全て愚痴っぽくて、この1週間ほど書いたのはどれもなんかしらの「やな感じ」。自分の思い通りに物事が進まないことにむしゃくしゃしてるらしい。下書きを翌日読むと、こいつやな奴だなーと書き直したり消す。てなことをやってると本当に書けなくなった。

先日出した辛い辛い言ってた話ですが「結局何を言いたいんだ」となって投稿後に下書きに戻しました。一度出したのはドロドロした感情をどこかに届けて浄化したかったのかもしれません。通りすがりの姿なき訪問者が届けたい当事者に思えて、救いにも感じます。コメントくださった方もありがとう。

下書きに戻ってきた「やな感じ」の愚痴は残してあります。何ヶ月かして笑える余裕ができたらちょっと曖昧に書き直してこっそり戻しておこうと思います。浄化というより消化、成仏でしょうか?ちょっくら忘れておきますw

さじ