ゆるっと広告業界

デザイナーのひねもす。

何をもってダサイというのか。

考察|究極にダサイチラシを作れ指令に思うこと

こんばんは、さじです。

WordやExcelPowerPointで一般の方の作るチラシを酷評するのがデザイナーって奴らですが、それが自分の中で混乱したことがあったので書いていきます。ダサイってなんなんだ。

ちょっと毛色の違う依頼がありました。概略すると「超高齢者向けチラシ」。ほぼないtoCで面喰らう。それでも昔とった何ちゃらで、文字大きくとかイラストホンワカとか?と漠然と考える。で、メモりながら話を聞いてるうちに、あれ、なんか違うな。「ダサイこと」が重要ってこと?

決してお年寄りはダサイチラシが好きっていうんじゃないです。100人いるお年寄りの50人に手に取って見てもらうために、「ダサイ」って何なのか、それが必要なものなのか考えてみよう、といったイメージです。

まず「ダサイ」の特徴を書いてみる

  • 文字数が多い。余白を作らず目の逃げ場がない。どこから読んでいいかわからない。情報詰め込みすぎ。
  • 色にオリジナリティ、トレンドの反映がない。デフォルトカラーを多用。鮮やかなグラデーション。紙は常にコート紙。
  • イラストに現代を感じない。カット集ぽい既視感。切り抜いてとっておこうという気にさせない。
  • バクダンやフキダシ、角丸、フォントセレクトが古臭い。

これをひとつずつ考えていこう。

文字量は多くていい

新聞は購読率が下がってきてもお年寄りは結構な割合で新聞をとっている。(資源ゴミチェック)自治体がポストインする広報誌のチェック率も高い。(話していて「広報に出てたよ」と聞く)自分の両親も老眼鏡をかけ熱心に読むので、webとの接触がないことも影響している。文量が多い=「普通」。

色、質感の捉え方が違う

濁りを好まない。高彩度の発色の良い色味が正で、濁りを澱みのように感じると過去指摘されたこともあった。今はPDFでの校正が主流なので印刷した際に色が沈むのを嫌う。グラデーションはキラキラした高級感。そして、コート紙のテカテカが「綺麗ないい紙」。マットな質感は「安くて汚い紙」。高級感の捉え方が自分と違う。

視覚に訴えないイラスト

いっとき手指の省略、のっぺらぼう、不自然な髪色がNGだった時代があった。今は許容されているけど、極力避けるのが望ましい。視覚に訴えない、記憶に残らない作風。洒落たものよりベタな表現。手指顔パーツはなるべくあるやつ。奇抜な印象はマイナス。

飾りは版下風に

今でもバクダンやフキダシは「ココ注目」としてよく使われているし角丸も柔らかさを出すのに好まれるが、形には今昔がある。違いはトゲの大きさやアールの広さ。版下時代で使われたバクダンコレクション、広いアールに慣れ親しんだ期間が長いということを念頭に。ポップ系書体も同様に、登場してから長年「柔らかい」と印象を与え続けてきた。

心象的距離感を考える

トレンドから外れてる、センスがどうこうではない。一昔前までを現役で過ごしていた彼らにはそっちが正統派。自分が今ダサイと思って避けるデザインを日常として過ごしてきた。「今」のデザイナーの勝手でお洒落にしたところで「こういうのは若い人のでしょ?」と対象者が馴染みにくいなら意味がない。手にとってもらえてようやくスタートライン。

まとめ?

今回、ダサイチラシ指令と受け取り「いやなんでw やりたくないんだけど〜」と正直思いました。ダサイのを目指して作ろうとしたことなんてない。

そもそも、ダサイ意味があるのか?しかし安定した吸引力を持つ調和されたダサさが必要、というのは正解なのかもしれない。

デザイナーの自己満足ではなくて、必要な方が「こういうのが安心するのよ!」と思えるような仕事を目指すのは大事だな、と反発心理を軌道修正しました。「ダサイ」ことに意味がある。いや、「ダサイ」はダサくないのかもしれない。「ダサイ」と決めた自分の視野の狭さの方がダサイんじゃないか?

よし、やる気になってきた!

ということで、今回は指令通り究極の「ダサイ」チラシに全力で挑んでやることにしました。デザイナーは消費者の為の仕事でしたね。しみじみ。でも毎度は勘弁して。

さじ