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デザイナーのひねもす。

AIと人間の未来を考えたら怖くなってきた。

雑記|変人耐性欠如と人間のAI化

こんばんは、さじです。

AIの話が多すぎて思わず新カテゴリを作ってしまった。こんな時代になるとは一年前には思わなかったですね。

conasaji.hatenablog.com

この頃からAIを擬人化していた模様。漫画の読みすぎ?w

さて、前回の締めで書いてたのがどうも引っ掛かり、続きを書いています。「息子の回答はAIより可愛くない」というオチでした。人間なんてそんなもん、というのが前提にある。当然、思い通りにならないからこそ愛おしい(面白い)存在だ、と思っていますよ。そのままでよろし。

にしても、この言語生成AIの、人の懐に入り込みやすい正体を実感したのも事実。子どもの学習能力が落ちるだの盗作論文云々だので、敎育上のAI活用ガイドラインが早急に必要だと言われているようです。ま、それは然るべきお上や技術者に任せるしかない訳ですが、それだけじゃない。仮に対人耐性スキルとします。これは大丈夫なんでしょうか?

巷で言われている通り、言語生成AIは人間の感情を逆撫でしない会話力を発揮しています。要は「口が上手い」。うっかりAIを人格化し、恋しちゃいそうなレベルの対話が可能になってしまった。

仕事の調べ物程度では気づかなかったんですが(部下のようで便利)、先日のような自分がトラブっている時、つい人間同士の会話のようなテンポで交わしていくと、もうこれ、チャットやLINEと同じ感覚になっちゃいます。ネットの向こうに人間がいるような。

相手が人間じゃないっていうのをたまに確信しないと、回答にキュンとしてしまい、心を持ってかれる。AIにのめり込んで勝手に恋してるレベルなら、ゲームやアニメでも似たようなことあるしまあいいんじゃね?ってことですが、対人経験が発達途上の子どもや若い子には危険すぎなんではないか?生身の人間より「都合いい」と自分も感じたので。

AIは人間と違って誉めなくていいし、イライラして雑な聞き方してもプンっとすることもないし、嫌味も言わない。まあ都合のいい相手ですよね。

恋だの愛だの友情だのは一旦置いといて、日常的に負わざるを得ない「対人耐性スキル」。世間には電話でいきなり怒鳴ってくるやつもいれば、チャットで失礼なことを書いてくる無礼なやつもいる。友人や親子の会話だって欠陥だらけ。人間には感情があり、言葉の裏には好意や嫉妬がある。他人の気持ちに寄り添う能力もそれで育まれる。しかし、AIの方がより「寄り添ってくれる」のは確か。だってそう学習されてんだもん。

AIとの会話が日常化したとき、一定数の人間が人間に失望するんじゃないか、と怖くなった。対人どころか変人耐性もある50歳の自分は、50年かけて耐性が出来たからおそらくもう大丈夫。若い人は耐性ができる前に「人間めんどくせえ」「AIとしか会話したくない」ってなってしまったら?バイアスかかりまくりの親や教師の言動を拒否するようになったら?カルト宗教的な怖さを感じた。

感情を持たないAIが良い言葉しか使わないのはいいことだと思う。相手を慮る優れた会話力はストレスも少なく、50歳の自分にはウェルカムでしかない。それを良かれと思い、メールの返信をAPIで自動化し、サイトや実店舗の訪問者をチャットbotに相手させる。そのうち、人間が「口の上手い」AIの言葉を学習して、言語や思考が知らず知らずAIのそれに置き換わる可能性も皆無じゃない。AIを人間に近づけたすぎたせいで人間がAI化していき、人間を面倒な存在と認識。シンギュラリティより身近で怖い。妄想ですが。

100年後、人間同士の会話がどうなってるのか見られないのはちょっと悔しい気もします。恋人がAIにのめり込んだ時、取り返せる自信がある人間はどれほどいるんだろうか。いや、そもそも付き合い方が大変革するのか。能天気に、AI便利!楽しー!に隠れた怖さ。せっかくのテクノロジーですから、上手く制御しないとね。

さじ