ゆるっと広告業界

デザイナーのひねもす。

昭和の中学生の編集活動。

雑記|将来やりたい仕事を見つけた時の話

こんばんは、さじです。

自分が元々やりたかった編集の仕事は、中学の委員会から始まりました。学校の文集って今はないかもしれませんが、その編集委員になったのがきっかけ。全校生徒の一言や部活紹介、教職員コメントなどの学校主体の冊子でした。

最初の編集作業をしたのは中1か中2で、ゲラ(校正紙。この言葉もここで初めて知った)が出来てきた時。汚い中学生の文字が活字になったのを見てちょっと感動した。活字なんて本みたいじゃん。当時はパソコンもワープロもないし、クラス通信のような配布物も全部手書き。

ゲラは製本前のペラの状態で、校正というほどでもなく、名簿と照らし合わせて漢字の確認はした記憶はある。その他は出来てきた冊子を数えて配布するくらい。今思えば、レイアウトや版下制作は印刷屋さんお任せだったんでしょうね。

その後も何度か編集委員をやって、クラスの卒業文集を有志で本格的に制作することになった。担任も受験で大変だし、中3だと先生に頼らなくてもだいたい出来ますし。見よう見まねで。

卒業文集では、クラス全員の原稿回収は当然ですが、その他に特集(というか、ブランクなページ)の構成も考えます。スケジュールを立てて取材(というか調査?)し、先生やイラストの得意な生徒への原稿依頼、回収も有志がやる。先生は業者との連絡くらいで、逆に締切過ぎても原稿くれなくて追い回した。本当に全て生徒に丸投げ。

手書きをまんま印刷なので、レイアウトもやらないといけない。コピー機もプリンタもない時代なので、デザインパーツはイラスト集をトレペに写したり描いたり。時間も限られてるからできる人がやるって感じですが、自分は早くに受験終わって暇だったんで。

で、この一連の有志活動が色んなことを並行しながら、色んな人を巻き込みながらやる。卒業式までに配布しなければいけないという絶対的な締切もある。交渉も必要、管理も必要、判断も必要。おそらく人生初の社会的な責任ってのを負ったんだと思う。無茶苦茶大変で、無茶苦茶楽しかった。勉強や部活や遊びとは違う達成感。

単純なので、将来はこういう仕事したいなー、編集者って名前もカッコイイなーと思った。なぜかデザイナーになっていましたが、今とやってることが変わらないので、当時の志を叶えたのか成長しなかったのか。身の程に収まったってことかな。

卒業文集の有志で同じく夢中になってた(巻き込んだ?w)友人がいます。そいつは頭が良かったんで新聞社に入り、記者からデスクに。20代の頃はお互い、死にそうだよ、まだやってんのか、とどっちがよりブラックかを競いつつ、なんとなーく励まし合ってたように思うw そして、ヤツもあの有志活動で新聞社を目指したに違いないと踏んでいる(笑)

将来の仕事のきっかけってそんなもんかもですね。今の仕事を目指したきっかけって何ですか?気づいてなくても遡っていくと何か原点があるんじゃないかなーと思います。

さじ